私、霊験あらたかがこれまで数多くの不思議な体験談をお聞きしてきた中で、動物が人を守ったという話は決して珍しくありません。
しかし今回、ねこまみれ様からお聞きした体験は、その中でも特に印象深いものでした。
いつもは穏やかな愛猫の、異常なまでの威嚇行動。そして、それが飼い主の命を救ったかもしれないという事実。詳しくお話を伺ってまいりました。
ねこまみれ様は四十代の会社員で、都内の企業に勤めていらっしゃいます。お名前の通り、筋金入りの猫好きで、現在は三匹の猫と暮らしているのだとか。今回の体験の主役は、そのうちの一匹、茶トラの雄猫「タマ」君です。
「タマはもう十二歳になります。保護猫だったんですけど、うちに来たのが生後二ヶ月の時だから、もう十一年以上一緒にいるんです。すごく穏やかな性格で、怒ったところなんてほとんど見たことがなくて」
ねこまみれ様の話し方は、猫のことになると自然と声のトーンが上がり、愛情の深さが伝わってきます。そんな彼女が体験した出来事は、今年の三月のことだったそうです。
その日は平日の朝。ねこまみれ様はいつも通り六時半に起床し、猫たちに朝ごはんをあげ、自分の支度を整えていました。家を出るのはいつも七時四十分頃。最寄り駅から七時五十二分発の電車に乗り、通勤するのが日課でした。
「その朝も、特に変わったことはなかったんです。三匹とも普通にごはんを食べて、私が支度している間は、いつものように窓際で日向ぼっこしていて」
ところが、玄関で靴を履こうとした瞬間、異変が起きました。
「タマが、突然、玄関に飛び出してきたんです。そして、私の足元で、毛を逆立てて、シャーシャー言い始めて。最初、何が起きたのかわからなくて」
猫が威嚇する時、毛を逆立て、背中を丸め、シャーッという声を出します。ねこまみれ様も、もちろんそれは知っていました。でも、タマがそんな態度を自分に向けたことは、これまで一度もなかったといいます。
「びっくりして、『タマ、どうしたの?』って声をかけたんです。でも、タマは全く聞く耳を持たなくて。私が玄関のドアに手をかけようとすると、さらに激しく威嚇して、前足で私のパンツの裾を引っ張るんです」
タマ君の様子は、明らかに異常でした。いつもなら、ねこまみれ様が出かける時は、玄関まで見送りに来て、静かに座っているだけ。それなのに、この日は必死に外に出ることを阻止しようとしているかのようでした。
「最初は、どこか具合が悪いのかなって思ったんです。でも、さっきまで普通にごはん食べていたし、走り回っていたし。それに、威嚇の向きが、完全に私に対してというより、玄関のドアに対してなんです。まるで、『そこから出るな』って言っているみたいで」
時計を見ると、七時四十五分。このままでは、いつもの電車に乗り遅れてしまいます。ねこまみれ様は焦りを感じながらも、タマ君の異常な様子が気になって、すぐには家を出られなかったといいます。
「タマを抱き上げようとしたんですけど、するりと逃げられて。また玄関の前に座り込んで、私をじっと見つめるんです。その目が、いつもと違って。何て言うんでしょう、真剣というか、訴えかけているというか」
結局、ねこまみれ様は観念しました。一本遅い電車に乗ることを決めたのです。
「もういいよ、わかったよって言って、靴を脱いだんです。そうしたら、タマがすっと玄関から離れて、いつもの定位置、窓際のクッションのところに戻っていって。そして、何事もなかったかのように、毛づくろいを始めたんです」
あまりの変わりように、ねこまみれ様は呆気にとられたそうです。さっきまでの激しい威嚇は何だったのか。まるで演技だったかのような、あっさりとした態度の変化。
「でも、不思議と怒りは湧かなくて。何だか、『まあいいか』って思えたんです。たまには遅刻ギリギリじゃなくて、余裕を持って出勤するのもいいかなって」
ねこまみれ様は、少しリビングで休んでから、八時十分頃に家を出ました。いつもより三十分遅い出発です。駅に着くと、八時二十分発の電車に乗り込みました。
電車に揺られながら、スマートフォンで何気なくニュースをチェックしていた時でした。
「速報が出たんです。『〇〇線、人身事故で運転見合わせ』って。〇〇線は、私が乗る路線です。心臓がドキッとして、詳細を見たら、事故が起きたのは七時五十五分頃、私がいつも乗り換える駅の一つ手前だって」
ねこまみれ様がいつも乗る七時五十二分発の電車。その電車が、人身事故に遭遇したのです。
「手が震えました。もしタマが止めてくれなかったら、私はあの電車に乗っていた。事故に巻き込まれはしなくても、何時間も電車の中で閉じ込められていたかもしれない。それだけじゃなくて、もしかしたら……」
事故の詳細は、後でニュースで知りました。幸い、大きな怪我人は出なかったものの、その路線は午前中いっぱい運転が見合わせになったそうです。
会社に着いてから、ねこまみれ様は上司に事情を説明しました。猫が止めたとは言えず、「ペットの様子がおかしくて」とだけ伝えたそうです。上司は理解を示してくれ、「無事で良かった」と言ってくれたといいます。
その日の夜、家に帰ったねこまみれ様は、真っ先にタマ君を抱きしめました。
「ありがとうって、何度も言いました。タマは、いつもみたいにゴロゴロ喉を鳴らして、私の腕の中で目を細めていて。本当に、朝のあの威嚇が嘘みたいに穏やかで」
ねこまみれ様は、その後、近所の神社にお礼参りに行ったそうです。
「猫が人を守るって話、よく聞きますよね。科学的に説明できないことを、動物は感じ取るって。でも、実際に自分が体験すると、本当に不思議で。タマは何を感じ取ったんでしょうか。私に危険が迫っていることを、どうやって知ったんでしょうか」
私は、ねこまみれ様にこう質問してみました。「その後、タマ君が同じような行動を取ったことはありますか?」
「一度もないんです。あの日だけ。だからこそ、余計に不思議で。もしタマがいつも威嚇するような子なら、たぶん気にも留めなかったと思います。でも、十一年間一緒にいて、あんな態度を見たのは、後にも先にもあの一回だけなんです」
動物の第六感については、科学的にも様々な研究がなされています。地震の前に動物が異常行動を示すという報告は、古くから世界中で確認されています。しかし、未来の事故を予知したかのような行動については、まだ解明されていない部分が多いのも事実です。
「私は、タマが何か見えないものを感じ取ったんだと信じています。それが神様からの警告だったのか、タマ自身が持っている不思議な力なのか、わかりません。でも、確かにタマが私を守ってくれた。それだけは間違いないんです」
ねこまみれ様は、今もタマ君をはじめ、三匹の猫たちと幸せに暮らしています。そして、あの日のことを忘れないために、毎月、神社に感謝のお参りを欠かさないそうです。
「猫って、本当に不思議な生き物です。言葉は通じないけれど、心は通じ合っている。そんな気がします。タマがいてくれて、本当に良かった。これからも、ずっと一緒にいたいです」
お話を伺い終えて、私はねこまみれ様のご自宅の写真を見せていただきました。そこには、窓際のクッションの上で、気持ち良さそうに眠るタマ君の姿がありました。穏やかな寝顔を見ていると、あの朝の激しい威嚇が、本当に同じ猫のものだったのか信じられなくなります。
しかし、それこそが霊験あらたかな出来事の証なのかもしれません。日常の中に突然現れる、説明のできない瞬間。それは神様からの贈り物なのか、動物が持つ不思議な力なのか。答えは誰にもわかりません。
ただ一つ確かなのは、ねこまみれ様がタマ君の訴えに耳を傾け、いつもと違う行動を取ったからこそ、危険を回避できたということ。そして、その判断を支えたのは、十一年間積み重ねてきた信頼関係だったということです。
「もし、これを読んでいる方がペットを飼っているなら、ぜひ、動物の行動をよく観察してあげてください。彼らは言葉を話せないけれど、いろんなことを教えてくれます。時には、私たちの命を救ってくれることもあるんです」
ねこまみれ様の最後の言葉が、深く心に残りました。

